宮古島を離れてしばらくした頃に、
教え子とその保護者からお手紙が届きました。
先生になって、
宮古島で子どもたちに出会えて、
本当によかった。
心からそう思えたお手紙でした。
子どもたちとの思い出の「みゃーくぬ宝」
宮古島を離れる最後の年。
私は2年生の担任をしていました。
音楽の授業で、「島人ぬ宝」の替え歌を作ることになりました。
まず、子どもたちにこんな質問をしました。
「みんなが思う宮古島の宝って何?」
すると、
「青い海!」
「光る海!」
「サンゴ!」
「伊良部島に沈む夕陽!」
「サシバ!」
「パーントゥ!」
「十五夜祭り!」
次から次へと、子どもたちの声があふれてきました。
目を輝かせて伝える姿から、宮古島への愛が伝わってきました。
子どもたちの言葉を一つひとつつないで、
世界に一つだけの歌が完成しました。
タイトルは、
「みゃーくぬ宝」
宮古島の方言で「宮古の宝」という意味です。
🎵 みゃーくぬ宝
ぼくが生まれたみゃーくぬ空を
ぼくはどれくらい知っているんだろう
流れる星も 空とぶサシバも
どこから来たのかわからない
でも誰より誰よりも知っている
悲しいときも嬉しい時も
何度も見つめていたこの空を
窓の外 見上げると 大きなにじの空
真っ赤な夕日が沈む伊良部の空
それがみゃーくぬ宝
ぼくが生まれたみゃーくぬ海を
ぼくはどれくらい知っているんだろう
汚れていくサンゴも 減っていく魚も
どうしたらいいのかわからない
でもだれより だれよりも知っている
白い砂浜 海の青さ
宝石みたいに光ってる
この海を守っていく ぼくたちが守っていく
宝石の青い海 ずっと繋いでいく
それがみゃーくぬ宝
ぼくが生まれたこの島のことを
ぼくはどれくらい知っているんだろう
ことばの意味や祭りのこと
おばーに聞かなきゃわからない
でもだれよりだれよりも大好きさ
祝いの夜も祭りの朝も
みんなが 笑ってる この島が
笑い声ひびいてる大切なこの場所で
みゃーくのぬくもりがずっと続くといいな
それがみゃーくぬ宝
私は三線を弾き、
子どもたちは元気いっぱい歌いました。
学年のみんなの前で発表した日の、誇らしそうな笑顔が忘れられません。
教え子から届いた手紙
その後、私は地元・愛知県へ戻りました。
新しい学校。
新しい子どもたち。
新しい毎日。
少しずつ新しい生活にも慣れていきました。
それでも、ときどき宮古島の子どもたちを思い出していました。
「みんな元気にしているかな。」
そう思っていたある日、
二通のお手紙が届きました。
差出人は、
宮古島の教え子と、お母さんでした。
その中に、こんな言葉がありました。
「『みゃーくぬ宝』を春休みに子どもと一緒に歌い、一緒に泣きました。」
その一文を読んだ瞬間、
胸がいっぱいになりました。
クラスで過ごす日々は終わってしまったけど、
思い出が心に残っていたこと。
子どもたちにとっても、お家の方にとっても、
「みゃーくぬ宝」が特別なものになっていたこと。
先生になって、
宮古島で子どもたちに出会えて、
本当によかった。
心からそう思いました。
地元で歌う『みゃーくぬ宝』
現在、私は愛知県で三線の弾き語りもしています。
ライブでは、今でも「みゃーくぬ宝」を歌っています。
宮古島の教室で生まれた一曲が、
多くの方に聴いていただけるようになりました。
「感動しました。」
そんな温かい言葉をいただくこともあります。
宮古島の教室で生まれた歌が、
今も誰かの心に届いている。
そう思うと、とても嬉しくなります。
いつか子どもたちに、
「みんなが作った歌は、たくさんの人の心に届いているよ。」
そう伝えられる日が来たらいいなと思っています。
✈️次回の記事
沖縄本島で4年間、宮古島で2年間。
合わせて6年間沖縄に住んだ経験は、私の人生を大きく変えてくれました。
たくさんの思い出を胸に、私は沖縄を離れ、地元・愛知県へ戻ることになります。
沖縄を離れた日のこと。
地元へ戻って初めて気づいたこと。
そして、沖縄で暮らしたからこそ見えた「地元の良さ」。
次回は、
「沖縄を離れて地元へ戻った私が感じたこと」
について書きたいと思います。
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